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メモ帳がわりです。

コーチングへの禅の影響

以前コーチングについて調べていた時、海外のコーチング会社のホームページに「At the core of skillful coaching is an ability to assist others in developing a stillness of the mind」という表現があり、ちょっと気になっていた。マインドの静寂を促進する、というのは、日本で言われるコーチングンのイメージには薄い気がしたのだ。

 

心の中にメモりつつそのままになっていたのだけれど、どうも禅の影響みたい。かなりびっくりした。

 

コーチングは、コーチングの手法や制度と、コーチングで到達することが目指されている精神的なテクニックがごっちゃになって語られているところがあるけれど、精神的テクニックの方は、テニス・コーチのティモシー・ガルウェイの「インナー・ゲーム」が元だと言われることが多い。

 

(ガルウェイは)1人の人間の中には2人以上の人間がいるとし、本能的に無心にプレイしようとするセルフ2と、セルフ2を観察し、命令し評価し、もっとうまくプレイさせようとするセルフ1の存在を想定し、セルフ2はセルフ1の声・支配によって緊張し、委縮し、失敗してしまうので、コーチの役目は、対象者の心がセルフ1に支配されずセルフ2が自由にプレイできる状態(潜在能力が発揮されている状態)にさせることなのだとした。

コーチング - Wikipedia

ガルウェイは「インナー・ゲーム」を再刊行した際に、これはテニスのゲーム中に発見したことだとして禅の影響を否定しているらしいのだけど、これは自分のオリジナリティを主張するためだと思うけど、ちょっと無茶な言い分だと思う。

 

ガルウェイは、自己啓発セミナーestの創始者ワーナー・エアハードのテニスコーチで、ヒューマンポテンシャル運動の中心地エサレン研究所のスポーツセンターにいた。estは、オノ・ヨーコも絶賛したという「禅の悟りが開ける」と言われていたセミナーで(オノ・ヨーコは結構スピリチュアル系です)、エアハードのスキャンダルもあってアメリカでの知名度は抜群である。このエアハードのestと後続のランドマーク・フォーラムというセミナーは、コーチングの基になっていて、禅の影響をめちゃくちゃ受けているのだ。

 

エアハードの自己啓発セミナーは、ナポレオン・ヒルの無意識の活用を説く成功哲学系の自己啓発書『思考は現実化する(原題:頭を使って金持ちになれ)』、マクスウェル・マルツの『サイコ・サイバネティクス』、アラン・ワッツをきっかけに知った禅、ニューソート系のポジティブシンキング等が合体してできている。特に禅とニューソートの結びつきが致命的というか決定的で、その後のコーチングとかビジネスマンの自己管理法などにかなり影響があるのだと思う。

 

エアハードの自己啓発セミナーは、3日か4日で、世界は無であり人生は空虚で、自分の心は、過去の記憶と体験から自動的に反応を返すだけの、ただの機械のような無意味なものだと心底思い知る(ゲット イット)→だからこそ人間は本当は何の縛りもなく、自由で、どんな風にでも人生を作っていけるんだ!選んだものを選び、実行しろ。宣言したことは、たとえ自分の死体を引きずってでも実行しろ。それで精神の平穏が手に入り、悩みは消え、思い通りに自由に創造的に生きることができる。というものだったらしい。これは、禅が参考にされている。

ランドマーク・フォーラムにはないが、estには実習があり、そこではいろいろな実習をしながら自分の心と体の状態をひたすら観察し、ありのままを把握するということがされていた。恐怖を体験すると言って参加者を激しく罵倒したり、自分自身をコントロールできることを知るのだと言って、トイレを禁止したりしていた。なんでそんなことをしているかわからない外からは、アホなことをしているようにしか見えず、結構問題にもなっていた。(結局、実習はなくなり、問答オンリーになった)

インナー・ゲームはどう見てもestの影響を受けているし、他のヒューマンポテンシャル運動の影響もうけている。ガルウェイ本人が禅の影響を理解していなくても、影響があるのは確かだと思う。

仏教の「一切皆空」と、ニューソートの「自分が源泉」が接続されていて、過去や常識の縛りを受けずに、自分で計画したように動ける人間になれるように設計されている。設計されているとはいえ、全員がうまくいくわけではないので、「一切皆空」は思い知ったけど「自分が源泉」が体得できなければ、それまでの価値観がずたずたになって、ただ世界が虚無であるという絶望的な認識に苦しむことになってしまう。estとランドマークは、アンチがけっこう激しく、ニヒリズムと言われたりもするのだが、むべなるかなという感じ。

 

そしてトレーナーの人たちが、「ロボットっぽい」「ゾンビっぽい」などと気持ち悪がられることがあるのだけど、これは、外からの影響も、自分の内部から沸き上がる、体験や過去に裏打ちされた感情や衝動も、意識して切って行動しているせいだと思う。目の前にいる相手の反応を受けず、ただ目的に沿って行動している、非常にロボっぽい。『ガラスの仮面北島マヤが、周囲の役者と調和し、相手の演技を受けて演じる、ということを知らなった頃、舞台で目立って浮いてしまい、芝居をダメにしてしまっていた、というエピソードを思い出します。

 

セミナーの流れなどを見て不思議なこともいくつかあって、「あなたがストロベリーアイスを選んだのは、ストロベリーアイスを選んだからだ。ストロベリーアイスが好きだからではなく、選んだから選んだのだ」という時、選ぶ理由はなく、選ぶ主体が感情でも好悪でも心でもないというのなら、いったいその選択は何なのか、ということ。「一切皆空」なら、選択する理由もないはず。思い通りに生きるの「思い」、創造的に生きるの「創造的」とは、なんなのか?社会で成功できる人間として選択できるようになるよう、誘導されているようなのだけど(それで体制順応的なイデオロギーと言われるんでしょう)、「一切皆空」を知った後に、経済的に成功し、豊かで朗らかな人間関係を持てるような私になる!というのは、ずいぶん都合のいい悟りだな、と感じました。うーん、お釈迦様に氷のような目で見られそう・・・

エアハードは、日本の禅僧に仲のいい人もいたらしい。禅の世界からの分析や批判があったら見てみたいのだけど、ないみたい。絶対必要だと思うのだけど、残念。サンガジャパンで特集組んでください。

 

ランドマーク・ワールドワイド - Wikipedia